アイドル嫌いの人に聴いてほしいSixTONES『Imitation Rain』

否が応でも時は過ぎて、私が子供だった頃に人気だったものはいつしかなくなってしまった。あの曲はどこにいってしまったのだろう。

 

とんだ親不孝者の私は1年半ぶりくらいに、実家に帰った。帰ったところで私の父母は仕事で居ないので親不孝なのかどうかなんてわからないのだが。

 

たった1年半帰らなかっただけなのに、街は大きく姿を変えていて、隣の家のお爺さんの家は新築の綺麗な家に変わっていた。小さな頃、学校に行く前に必ず声を掛けてくれたお爺さんは土地を売って老人ホームに入ったらしい。結局、大学合格の報告もできなかった。そこには代わりに幼稚園生くらいの小さなお子さんのいるご家族が住んでいた。

 

周りが日本家屋ばかりで浮いていた我が家も、そんなに浮かなくなっていた。

 

そういえば私があの子くらいの時に大好きだった歌はなんだろうか。

ふと思い立ってMDを漁ると、子供の汚い字で書かれた『Yesterday once more』と『Let it be』が出てきた。なんかもう少し子供らしい曲聴けばいいのに。可愛げのないガキだったろうに。インターナショナル系(というのかはわからないが英語の授業があった)幼稚園に通っていて、たまたま仲良くなった子のお父さんがアメリカの方だったからその影響なんだろうが。ちなみにその子は小2くらいでアメリカに帰ってしまった。いまだに餞別のペンとキティちゃんの缶は大切に持っている。

 

 Yesterday Once MoreージェシーSixTONES)にいつかカバーしてほしい1曲

 

英語の意味なんてわからなかったのに大好きだったこの2曲は今でもよく聴いている。この2曲は流行り廃りに関係なく私の大切な曲だ。流行っていた曲は思い出せないのに、この2曲は凄く鮮明に覚えている。

 

時代的に幼稚園から小学校低学年の頃はやっていた曲は、KAT-TUNとか嵐とかモー娘。とかだと思う。小学校の文化祭でVS嵐の出し物が出ていたからきっと流行っていたんと思う。兄がかつてKAT-TUNファンであり、私は現スト担なのでKAT-TUNの曲はなんとなくわかるが*1、嵐は『ひみつの嵐ちゃん』をなんとなく見ていたくらいで曲は中学生の時に布教された数曲と『One Love』や『Love so sweet』みたいな誰もが知ってるような曲しか知らない。 

割と流行りに疎い人間でもわかる曲って本当の意味でヒットソングなのかなぁ…なんて思う

 

「周りが好きだから」 「流行っているから」「みんな知ってるし、カラオケで歌えた方がいいかなって」

 

そういう理由でたくさん聴かれる曲がある。こういった曲を「商業音楽」と呼ぶ人がいる。それ自体が悪いってことじゃ無いが、私はこの呼び方がめちゃめちゃ嫌いだ。逆に商業じゃない音楽はどんなものなのかと問いたくなるからだ。誰かが愛する音楽に勝手にレッテルを張るなんてアホらしいとさえ思う。今は。

 

かつては、アイドルファンにも関わらずJ POPを、いやアイドルソングをなんとなく見下していた。ジャニーズをはじめとしたアイドルは好きだったが目の保養くらいにしか思っていなくて、音楽面は何も期待していなかったし、音楽と真剣に向き合ってなさそうな人たちが心底嫌いだった。「そんな奴の音楽は何があっても認めない」みたいな。お前いくつの頑固オヤジだよみたいな歪んだ思想の持ち主だった。

 

この思想を確固たるものにしたのが、「握手会」の存在だったと思う。「同じCDを何枚も買って、券だけ抜いてそれ以外は処分する」みたいな旨を述べるいい歳したおじさんのインタビュー映像を見て、嫌悪感を抱いた。音楽がおまけみたいになっているのが嫌で嫌でたまらなかった。大量生産大量消費。音楽が消耗品みたいに使われるのが嫌で嫌でたまらなかった。金と人の欲に自分の大好きな音楽が汚されている気がして嫌だった。

 

この歪んだ思想を変えてくれたのが、SixTONESだ。「アイドルはどうせ音楽とちゃんと向き合ってないんだろ?」を良い意味で裏切ってくれた。

 

雑誌のインタビューで好きな音楽について語る彼らの熱量が文字なのにひしひしと伝わってきたのもあるし、一つ一つの曲を大切にしているのが伝わってくるパフォーマンスだったから。

初めてのオリジナル曲『この星のHIKARI』ーサビの冒頭、アイドルソングとしてはかなり珍しいメインボーカル2人による歌唱。ファンも一緒に歌うこの曲は会場が一体となって音楽を、ライブを楽しんでいるのが伝わるのではないだろうか。

 

そんな彼らを見ていたら、今までの自分の偏見に満ちた思想が恥ずかしくてたまらなくなった。くだらない先入観によって、最高のエンターテイメントを逃すところだった。

まだジャニーズJr.なのか、こんなにすごいのに。何度思ったことだろうか。

と同時にデビューしないで欲しいと思っている自分もどこかにいた。デビューしたらただ音楽を愛するだけでは許されない立場になってしまうこともなんとなく理解していた。数字だけに追われて彼らがもし音楽を消耗品みたいに扱うようになったら…。

 

だからこそデビューが決まってから初披露の日まで、なんだか落ち着かなかった。 デビュー曲について語る彼らの生き生きとした姿を見るまで、なぜだかわからない不安に押し潰されそうになっていた。

 

デビュー曲のパフォーマンスを見終わった後、何分間か記憶がない。ただ呆然とテレビを眺めていた。無駄な心配だった、と思った。気づいたら録画を何回も再生していた。

 

YOSHIKIさん、すごい。なんて壮大な曲なんだろう。こぼれ落ちる雫のように儚げでどこか哀愁の漂うピアノのアルペジオ。それを遮るようで、遮らない。紅色のギターのサウンド。鼓動に直接訴えかけるようなドラム。そして心がキュッと掴まれ、どこか寂しさと少しの希望が入り混じったような不思議な感覚に陥る転調。

 

そしてこの壮大すぎる、圧倒的パワーの曲に負けない歌声。

京本大我の儚さと力強さが共存した高く伸びる歌声、ジェシーの包み込むような優しくでも楽曲にマッチした歌声、初めて聴いた松村北斗の広い声域を活かした下ハモ。そして6人の絶妙にマッチしたユニゾン

 

ほんの一部でここまで心を鷲掴みする彼らに脱帽した。

そして私の不安は余計なものだったと。

 

曲の全貌が徐々に見えていけばいくほど、魅了された。

田中樹の囁くようなRap。森本慎太郎の癖なく耳馴染みの良いキャラメルボイス。それを包み込むような高地優吾のハモリパート。

どれも魅力的だった。

 

たくさんの人に聴いて欲しい、そう思った。だからYouTubeが公開されると、たくさん見た。純粋に何回も聴きたいからエンドレスで聴いていた部分の方がもちろん大きいのだが、急上昇ランキングに載ったり再生回数が多ければまだ聴いたことのない誰かに届いて聴いてもらえるかもしれないから。

 

Imitation Rainー楽曲や歌が魅力的なのはもちろん、ダンスをはじめとした視覚でも楽しめるのがアイドルならではの魅力の一つだと思う

 

この頃からだろうか。

「もしかしてJ POPとかで出されるランキングとかの数字って、彼(彼女)たちへの愛の形なのかな?」と思うようになっていた。

そう思うようになったら、死ぬほど嫌っていたかつてのインタビューに答えていたおじさんに対して申し訳なくなってきた。

 

数字≒愛のバロメーター。それが増えれば増えるほどたくさんの人に愛された証拠。もしくは誰かが深く愛した証拠。消耗品みたいに扱われた痕跡じゃない。そう思えるようになった。

 

ただ、一番最初に書いたように「人気だったあの曲は何処に行ったんだろう」なんて状況にはなって欲しくない。発売してから2週間が経った今日も、何年か先の未来も愛される曲になってこそ「数字は愛のバロメーター」なんてくさいセリフを堂々と叫べるのだろう。

 

この曲はきっと私の大切な曲になるだろう。

私に大切なことを教えてくれた彼らの大切な曲だから。

 

SixTONESYOSHIKIさん。彼らが本気で世に放った『Imitation Rain』。

「ジャニーズでしょ?嫌いなんだよ」

「アイドルの歌なんて、音楽に対する冒涜だ!」

そう思う人にこそ、この曲を聴いて欲しい。

かつて、アイドルの歌を小馬鹿にしていた愚かなクソガキからのメッセージだ。

それでも嫌なら何も言わない。一度、騙されたと思って聴いて欲しい。

彼らは決して音楽を消耗品のように扱うような人ではないから。

彼らの愛する音楽を聴いて欲しい。

 

*1:SixTONESはよくKAT-TUNの曲をカバーする