アイドル・松村北斗と私。
まさか自分がこんな風につらつらと思いの丈をぶつける日が来るとは思ってもいなかった。
少し感情的になっているので、かなり拙い文章になってしまうと思う。
人によっては読みにくい「堅い文章」になってしまうかもしれない。
それでも最後まで読んでいただけるのであれば、こんなに嬉しいことは無い。
私には歳の離れた兄が2人いる。
物心が着いた頃には長兄はもう中学生だった。両親は共働きで、幼稚園の迎えもお預かり保育の中でも1番最後。しかも両親ではなく部活終わりの汗臭い長兄だった。
長兄が迎えに来て、次兄が待つ家に帰る。大抵夕飯は母が作り置きしていて、3人で食べる。だから、見るものも自然と他の子とは少し違ってその時の中高生が好きなTVが多かった。兄が好きなものがそのまま私の好きなものになっていた。
周りがプリキュアごっこをしようと声をかけてくれても、私はプリキュアをあまり見ていなかった。その時私が熱を上げていたのは、キュアブラックでもキュアホワイトでもなく「ごくせん 2」の矢吹や小田切だった。女の子としてはありえないくらい髪も短くて、スカートも嫌で園服も男の子用のズボンを着ていた。KAT-TUNのマネをする兄のマネをして、赤西仁みたいな髪型をして言葉遣いもかなり荒く男の子とばかり遊んでいた。渾名も君付けだったし、なんならバレンタインにかなりの数のチョコレートを貰ったりもした。多分、私のことを男の子だと勘違いしたまま卒園していった子もいると思う。
幼稚園では意識しなかった性別も、小学校に上がると嫌でも意識しなければならなくなった。普段着はどんなにKAT-TUNみたいなチャラチャラした格好をさせてもらえても、ランドセルは赤だし、男女別でいろんなことをしなければいけない。
幼稚園の頃みたいに男の子と一緒になってサッカーをしたりするのも、だんだん難しくなっていった。それに比例するかのように私は徐々に"KAT-TUNごっこ"を辞めた。
KAT-TUNに憧れて、修二と彰に憧れて、ジャニーズに憧れていた小2の私は性別の壁に隔たれて、皆と同じように女の子が好むものを好きになるように努力した。男子と一緒に何かをすれば、妬み嫉みの対象になったから。違う子に対するいじめを目の当たりにして、マジョリティになることを選んだ。
小3になる頃にはどこにでもいる普通の女の子になっていた。厳密に言うとピアノを弾いたり、本を読んだりするのがメインの学校生活であまり他人と関わらないあまり笑わない子供になっていた。
女子特有のコソコソ話が嫌で嫌でたまらなくて、関わりたくない一心で教室の隅っこでじっと本を読む静かな子になった。そこに"KAT-TUNごっこ"をしていた私はいなかった。
それでも長兄の影響で、KAT-TUNの出るMステは全部見ていたし、この頃になると邦ロックや洋楽が好きな次兄が家でやっていたバンドの練習をこっそり覗いたりしていた。
兄や兄の友達、幼なじみの前では何も気にすることなく自分の好きなものを好きと言えたしそれを否定されることも無くて…。
限られた人の前だけ、素の自分で居られた。
小5になる春休み。大学生になり上京した兄が帰ってきたので2人で揃って少クラを見た。
それが2009年3月1日。
奇しくも松村北斗がJr.にQで初出演した回だった。
いつもの様になんとなく見ているとJr.にQに白い革ジャンを着た男の子が出てきた。第一印象はカッコイイけど滑舌悪いなぁくらい。
「NEWSに憧れて入ったんです!」
そう言った彼に何故か惹き込まれた。キラキラした目で、小山くんにそう告げる彼に。
花男ブームを経て嵐が国民的アイドルになり始めていたころだ。それなのに彼はNEWSが好きだ!と堂々と言った。そして、ジャニーズ事務所に履歴書を送って、見事ジャニーズJr.になった。そんな彼に惹かれた。
毎回必ず見ていたわけではない、少クラで必死に松村北斗を探すようになった。少ないお小遣いでMyojoを買うようになった。そんな彼は瞬く間にB.I.Shadowとしてデビューした。
最年少13歳。中学2年生。
滑舌が悪くて、明るくて菊池風磨や中島健人に懐いている松村北斗を見ていると自分も素の自分で居てもいいのかな?そう思えてきた。
好きなものを好きと言えるようになりたい。
そう思えるようになった。
それでも幼なじみに甘んじてあまり話さなくなった私は結局、小学校で素の自分を出せるようになる前に卒業してしまった。
中学に上がると、幼なじみは県外の中高一貫校に進学して1人悲しく地元の中学に進学した。入学して1ヶ月くらい大して話せないだろうな…と思いながら暗い気持ちで入学式を迎えた。
名簿の一つ前の女の子が声をかけてくれて、自己紹介でこういった。
「嵐の相葉くんとHIP HOP JUMPの田中樹君が好きです!」
奇跡だと思った。思わず話しかけていた。
「私、B.I.Shadow好き。」と。
そこから入学式まで2人で少クラの話をしていた。その子はなかなかのジャニヲタで、KATーTUNもNEWSもデビュー組はだいたい抑えていたし、曲もかなり詳しかった。
この出会いは相当デカくて、もしこれがなかったらまた喋らないまま中学生活を終えていたと思う。
中学デビューと言わんばかりに、私は変わった。小学校の時より、明るく楽しい毎日だった。SexyZoneが結成した時はその子に抱きついて泣いたし、バカレアの出演が決まった時は2人で抱き合って喜んだ。
中2でその子とはクラスが別になってしまったが、その1年間で取り戻した素の自分はその後も変わることなく居続けた。文化祭では先輩や同級生とRADWIMPSやGalileo Galileiのコピーバンドをして、なかなか充実した中学生活だったと思う。
男子の方が多い高校に進学したせいもあり、高校ではジャニーズ談義に花咲かすことも無かったがやっぱり松村北斗が、居なくなってしまったバカレア組6人が大好きで追いかけていた。
小さい頃憧れたKAT-TUNをカバーする大好きなバカレア組の姿はもうみれないのかもしれない。
そう思いながら、年に1回行けるか行けないかの現場と少クラを初めとする数少ない番組と雑誌で6人それぞれを追っていた。
もし、北斗くんがデビューするならこの6人とがいいな。
どうかジャニーズを辞めないでくれ。
そう切に願いながら過ごしていたある日、またあの6人が帰ってきた。
Hell,No と共に。
自然と涙が込み上げてきた。正式なグループでは無いからこれっきりかもしれないのに、何故かそんな気はしなくてまたこの6人が見れると心の底から喜んだ。
そして5月1日。SixTONESが結成された。
キンプリも出来て、確実に推されているのは彼らで…。
決して平坦な道ではなかったと思う。
一ファンの私には計り知れない険しい道のりだったと思う。
でも、彼らは一人も欠けることなく2020/01/22の今日デビューを迎えた。
松村北斗というアイドルとの出会いで私の人生は変わった。
好きなものを好きと、やりたいことをやりたいと、そう言えるようになった。
かなり長くなってしまったし、纏まりもない。
上手く締める言葉も見つからない。
嗚呼そうだ、良い言葉があった。
SixTONESは最強です。
だって私の人生を良い意味で変えてくれた人がいるグループだから。
もうすぐ朝が来る。
この辺りで筆を置こう。
今日は大切なデビュー日だから。